|
GWまっただ中ですね。飲食店繁盛会タルイです。
ボクも元気に働いてます。そうですよね、飲食業はGWは働くものですよね。今日は、そんな飲食業全体の話を書きたいと思います。
野球型からサッカー型へ
みなさんもご存知かも知れませんが、いま日本全体が、そして飲食業界全体が変わりつつあります。今回のタイトルどおり、野球型チームからサッカー型チームが求められるようになっています。いつもですが、飲食店の話を始めるのというのに、ぜんぜん違う話から始めてしまうのは、ボクの性ですのでお付き合いください。最後はちゃんと飲食店の話になりますから。
では、具体的にふたつがどう違うのか。そもそも野球とサッカーはゲームの構造が違います。
野球とは、監督が戦略を立て、状況に合わせて選手に指示をだす。攻撃と守備の時間も分かれていますから状況ごとに戦術が行き渡る利点があります。ですので、固定された打線や勝利の方程式といったパターンが確立しやすいです。ところがサッカーは、いったん試合が始まってしまえば監督の指示が及びづらい。頻繁に攻守が入れ替わるから状況が目まぐるしく変化します。さらに情報の伝達が早いですから、前回上手くいった作戦が、また通用するとは限らないのです。
このゲームの構造の違いは、社会構造の変化そのものにも通じます。日本が高度成長期の頃は、野球チームのように年功序列なトップダウンシステムで上司が戦略と指示を出し、「報・連・相」でいけば成果が上がりました。ただ現代のようにスピードがあり成熟した社会では、社長→本部→店長→スタッフ という指示待ちでは対応できないです。いまはサッカーと同じ、現場の「創造性」豊かな対応力が問われています。そうなんです。いま日本の社会全体がグローバル化、スピード化しております。野球とサッカーでは、世界の競技人口が圧倒的に違うという事を例に出さずとも、サッカー型チームに移行しているのがご理解いただけますよね。
とっても残念な話なんですが、日本人は野球だと世界一になれるけど、サッカーだと世界一になれない現状を書かなければなりません。その理由のひとつとして日本と欧米では選手の体格や技術に差がありすぎると言われることがあります。しかし、あるサッカー指導の関係者の方から伺った話しによると、実は日本人のサッカーの技術力の水準は、すでに世界レベルなんだそうです。以前TVで観たのですが、ドイツの代表チームのボールリフティングなんか、ホントに下手でした。多くの海外組が活躍している現状を考えると、ウソではないと思います。飲食店だって、会社全体のレベルが高い大手が真似できないような特殊な調理技術や接客術をウリにして繁盛している個人経営者の店だってありますから。
理由の2つめとして、日本は能の伝統形式などに代表される「型」社会だから創造性を問われるスポーツに向かないと言われることがあります。これは、前々回から書いてますが、「型」が悪いのではなく、「型」から発展させる仕組みを持っていないのが悪いわけで、「型」の存在が決定的な理由にはならないでしょう。飲食店だって、たとえマニュアルを持たなくても、「こうしたらもっと良くなる」とスタッフが自発的に発展させる仕組みを持っている繁盛店はあります。
責任を恐れるな!
では、日本がサッカーで世界一になれないのはなぜなのか?そして、どうすれば飲食店の現場は創造性溢れる仕事ができるようになるのか?ボクはその鍵を、オシム監督の言葉の中にみつけました。
「日本では選手が気楽過ぎるんだよ。プレーし、勝つ。もちろんオーケー。プレーし、0−3で負け
る。オーケー。プレーし、0−8で負ける。それでもオーケーなんだ。何をやっても周囲から批判
されることがない。日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。日本の選手達は、
もっと自分の仕事に責任を持たなければならない。」
実は、このオシム語録に出てくる日本人は気質は、前任のジーコ監督も、日本人の「ミスを恐れる国民性」という言葉で表現していました。日本の「決定力不足」の大きな原因だと考えます。
「ドンマイ、ドンマイ」で済まないリスクは絶対に背負わない。では、そうなってしまうのか?
原因をオシム語録から探してみると、ここに突き当たりました。
「日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける。コーチが
本や紙を見ながらやっているうちに選手には違う現象が起こっている。その現象を見てコーチ
が判断する。サッカーはそういうスポーツ。コーチが変わらないと選手は変わらない。(中略)創
造性に欠ける指導者はヨーロッパにもいる。そういう指導者からは、創造性に欠ける選手しか生
まれない。文化、教育、世情、社会に左右されることはよくない。サッカーは普遍的なもの。そし
て、 常に変わっていくからコーチも常に変わっていく必要がある。」
とっても痛い言葉ですが、的を得ていると思います。やはり時代の変化とともに指導法も変わらなくてはいけないようです。
「日本のコーチはティーチャーだ」といった批判を以前、耳にしたことがあります。でも、手取り足取り、「型」だけを教えるのもよくありません。最近「コーチング」「NLP」などの本が盛んに出版されているのも、時代の背景にマッチしているからでしょう。
この続き、指導法については次回に。
(執筆:タルイタケシ)
|