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こんばんは、飲食店繁盛会のタルイです。
最近、飲食店の専門店化が加速されてきて「プロフェッショナルな人材」の必要性が問われていますね。その人材育成の方法論として「マニュアル撤廃」「師弟制度の復活」などが叫ばれています。ボク自身も、そういった世の中の変化には大きな流れとして否定的な見方はしていませんが、小さな疑問点もいくつかあります。そもそも、マニュアル賛否論なるものの意味がよくわかりません。マニュアルがスタッフから人間性と個性をなくすというのも乱暴な話です。
マニュアルは悪いのか
現代は、すべてのやり方が言語化されマニュアル化してきています。マニュアルとは標準作業の【型】のようなものですね。多数の人間を短期間で一定のレベルに引き上げるには都合が良いです。反面、画一化の弊害が問題視されているわけですが、だからと言って【マニュアル】が悪いわけじゃない。以前も書いたと思いますが、「マニュアルが悪いんじゃなくてマニュアル以上のことを教えないのが悪いんですから」人が悪いんじゃなくて、システムが悪いんですって。マニュアル【型】が個性を剥ぎ取るなんておかしな発想なのです。
ボクは多くの会員さんから「とっても個性的な人ですね」とよく言われますし、自覚していることですけど。そんなボクの【個性】といえば、顔とか、体型とか声とかぐらいなものです。ボクは【個性的】という【型】を身につけているだけですから。【個性】と【個性的】は別物で、【個性的】とは、そういう型に過ぎないんですよ。
マニュアルの必要性
この事実に気づいたときのエピソードがあります。ちょっと話が飲食からピアノに変わりますけど読んでください。実は、今から15年くらい前ことですが、ピアノを習ったことがありました。えぇ、あなたのおっしゃるとおり自分でも似合わないとおもいます。「101回目のプロポーズ」を観たからとか、ピアノの先生が髪が長く白いブラウスが似合う美人だったとか、そんな話は今回は直接関係ないことですので割愛しますね。
生まれてはじめてピアノ前に座ったときのことは今でも記憶しています。何もできないという事実に直面しました。まずは楽譜が読めませんでしたからね。マニュアル書とはクラシック音楽でいうところの楽譜のようなものです。楽譜とはツールです。楽譜自体は音楽じゃないのです。ところが、その楽譜というのは、とっても難解でこれを読みこなすための能力が必要になります。でも読めるようになってもまだ弾けない。さらにそこから練習が必要になる。だからなんだよね。楽譜どおりに弾けるようになるとクラシック音楽がわかったような気持ちになってしまうのです。
でも、それで作曲者の作曲意図が読めるようになったわけではないです。「なぜこの音が必要なのか?」「自分が作曲したらどうなるだろう」とまでは考えない。
この経験からわかったことは3つ
・ボクはちゃんと型がないと、何も始められない。
・ボクは苦労してできたことに対して満足しやすい。
・ボクは楽譜に書いてない音楽はわからない。
だからって【マニュアル】が悪いとはいってませんからね。
もう一度マニュアルの問題に戻します。
マニュアルは作業を標準化したり組織化したりするのにやっぱり必要なんですよ。でも、そのマニュアルが持つとずっしりと重いもので開いてみると、字がいっぱいのものだったら、読んで実践するだけで満足しちゃいがち。だからボクの結論はマニュアルをもっとわかりやすく、読んでいて楽しいものにすることでした。
例えば、接客5大用語とか7大用語ってありますよね。思いませんか?他には用語はないのかと。そこで、お客さんをほめるときの用語とか、お客さんにあいづちを打つときの用語とか、お客様にツッコミを入れるときの用語とかマニュアル化しちゃえばいいんですよ。マニュアル以上のマニュアルを作ってしまえばよいわけですから。もっというと、マニュアルって名前もやめちゃえばいい。接客マニュアルだったら、「接客のコツ集」って名前のほうが楽しそうでしょ?「カリスマ先輩スタッフの接客のコツ全部公開」ってキャッチコピーいれてね。
最後に注意点です。マニュアルは上からやれと言われてやるもんじゃない。スタッフみんなで作るもの。そして、改良されていくものですよ。
(執筆:タルイタケシ)
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